五輪を紹介

五輪を紹介

徹底検証・徳川埋蔵金の真実 トレジャーハンター・八重野充弘 第11回 謎の石造物に刻まれた僧正の名前

徹底検証・徳川埋蔵金の真実 トレジャーハンター・八重野充弘 第11回 謎の石造物に刻まれた僧正の名前

 群馬県内には道祖神や庚申塔、馬頭観音など、民間信仰に由来する素朴な石造物が多い。だから赤城山麓にそういうものがあっても不思議はないのだが、1860年(万延元年)から幕末までの8年間に集中的に建てられた石造物がある事実を、どうみればいいのだろうか? 特に、1864年(元治元年)に『大黒天』だけで8体も建てられているのは、ただごとではない。筆者がそれを知ったのは、1995年のことだった。

 実はそれ以前から、赤城町棚下の岩壁に彫られた剣持大黒天(元治元年)や、津久田十二坂の狩野家梅林にある大青面金剛明王(安政7年)などが気に掛かっていた。徳川の埋蔵金が古兵法『八門遁甲』で隠されたのなら、必ず地上に目印が置かれているはず。その目印は「不動のもの」、つまり、長い時間がたっても移動したり消滅したりしないものでなければならない。宗教に関連したもの、石造物が使われていることが多いと聞く。
 そこで、他にも何かあるかもしれないと考え、前号でご紹介した岩手県の牧場主の調査に付き合った後、赤城村(当時)の役場に立ち寄った。教育委員会がまとめた石造物のリストがあると聞いていたからだ。運良く残部があったので一部分けてもらったのだが、帰京後すぐに地元の人物から電話がかかってきた。役場に置いてあった名刺から筆者の連絡先を知ったらしい。

 ガソリンスタンドを経営しているというその男性Tは、筆者が徳川埋蔵金の調査をしていることも知っていて「なぜ石造物に興味を持ったのですか?」と問いかけてきた。「御用金の埋蔵場所へ導く手掛かりを探していたもので」と正直に答えると、相手はこう言った。
 「ぜひ聞いていただきたい話があります。私たちは埋蔵金探しをやっていたわけではなく、趣味で山岳信仰と石造物の関係を調べていたのです。ところが幕末に建てられたものがやたらに多いので、それがなぜなのか不思議に思って研究していたところ、それらを建てた人物が特定できたのです。やっぱり、埋蔵金に関係があるとしか思えません」
 筆者はだんだん血が沸き立ってきた。(彼は、僕の知らないことを知っている!)
 数日後、筆者は赤城山の麓へ向けて車を走らせた。

 Tは石造物の中のいくつかに、同じ人物の名が刻まれていることに気が付いた。観理院第三十世権僧正廣深。かなり位の高い僧であることは想像できたが、観理院という寺がどこにあるかすぐにはわからない。今のようにネット検索などできなかったころだから、それが判明するまでに数年かかった。そして、一緒に研究をしていた彼の兄が、実にアナログ的な方法でそれを発見した。江戸市中の切絵図の中にあったのだ。
 東京都民なら誰でも知っている日枝神社。千代田区永田町二丁目にある、格式の高い都内でも指折りの神社だ。神仏習合が行われていた江戸時代末期までは、広い境内の中に神社を管理する役目をもつ別当寺の観理院を筆頭に、10を数える坊(大寺院に属する小院)があった。古地図を見ると、観理院は現在の永田町山王森ビルからザ・キャピトルホテル東急にかけての広い場所を占め、他の坊は南側の溜池に面してずらりと並んでいたようだ。
 日枝神社は、太田道灌が江戸城を築いたころからあり、徳川家康が江戸に移って城を改修したときは城内に置いて城の鎮守としたが、4代将軍家綱のころ、江戸城の裏鬼門に当たる現在の場所に移された。いずれにしろ徳川幕府にとっては縁の深い神社で、刻まれている名の廣深は、そこのトップだったわけである。

 そしてTは、もう一人の重要人物の情報をつかんでいた。廣深とともに行動していた地元出身で江戸で材木商として成功した狩野長重郎だ。2人がプロデューサーとスポンサーの関係だったことは容易に想像がつく。では、そのプロジェクトの中身は何だったのか?
 「江戸城の普請に使った木材はほとんどが上州産だったらしいですから、狩野も幕府とは関係が深かったと思われます。2人で、幕府のために一肌脱いだということではないでしょうか」

 Tは自信満々だった。筆者もそう思った。石造物は呪術的意味合いとともに、しかるべき後のしかるべき人物のために残した道しるべの役割を持っているのかもしれない。言い伝え通り、御用金埋蔵の発案者が井伊直弼だったのなら、2人が石造物の配置を終えた元治元年は、井伊が桜田門外で斃れてから4年後のことで、遺志を継いだという解釈になる。
 問題は石造物の配置だ。筆者は一通り見て回り、その結果思い浮かんだポイントがあるが、それについての見解は、本シリーズの最後に述べることにする。
(完)

八重野充弘(やえのみつひろ)=1947年熊本市生まれ。日本各地に眠る埋蔵金を求め、全国を駆け回って40年を誇るトレジャーハンターの第一人者。1978年『日本トレジャーハンティングクラブ』を結成し代表を務める。作家・科学ジャーナリスト。