五輪を紹介

五輪を紹介

70年 初めて語る神戸空襲

 70年 初めて語る神戸空襲

 7000人以上の死者を出した神戸大空襲(◎)から70年を迎えた17日、犠牲者を追悼する合同慰霊祭が神戸市兵庫区の薬仙寺で営まれた。戦後70年の今年は、「記憶を風化させてはならない」と空襲で家族3人を亡くした男性が初めて、自らの体験を参列者の前で語った。(浅野友美)

  • 戦後70年の今年、初めて人前で空襲体験を語った古川さん(神戸市兵庫区で)
  •   市民団体「神戸空襲を記録する会」が、最初の大規模な空襲があった3月17日に合わせて毎年開催している。

      3回目の大規模空襲で、母と2人の兄を失った西宮市の古川輝男さん(74)は戦後長らく、その日のできごとを口にしてこなかった。しかし今年、記録する会で活動する知人女性に頼まれ、「記憶を引き継がないと空襲があったことすら忘れられてしまう」と危惧し、人前で語る決心をした。

      会場に集まった約100人が犠牲者に黙とうをささげた後、司会者に紹介された古川さんは、時折涙を浮かべながら、言葉を絞り出すように語り始めた。

      当時5歳だった古川さんは1945年6月5日、家族と一緒に神戸市中央区の自宅にいた。朝の食卓を囲もうとしているときに空襲警報が鳴った。

      避難した防空壕(ごう)を焼夷(しょうい)弾が直撃。周囲は瞬く間に火の海に包まれた。兄の清次さん(当時26歳)と良造さん(同14歳)は焼死。古川さんも首や肩に大やけどを負った。周囲の人が出してくれたのか、かろうじて壕の外に出ることができ、一命を取り留めた。

      街路には、多くの遺体が横たわっていた。防火水槽に頭を突っ込んだ状態で息絶えている人もいた。古川さんは母・よ志みさん(同46歳)に連れられ、近くの親戚宅に身を寄せた。しかし、大やけどを負ったよ志みさんは4日後、「もう今晩で終わりかな」とつぶやき、息を引き取った。

      古川さんは「歴史を振り返ることで、平和への道が開ける。家族との絆を大切にし続けてほしい」と訴えかけた。

      古川さんの話を聞いた武庫川女子大付属高校1年・栗本茉奈さん(16)は「多くの人を悲しみに陥れた戦争は二度と起こしてはいけない」と話していた。

     (◎)神戸大空襲 神戸市によると、1945年2~8月に計5回、米軍のB29爆撃機が神戸市街地に焼夷弾を投下した。中でも、3月17日、5月11日、6月5日が大規模だった。死者7491人、負傷者1万7014人と推定される。2013年8月、記録する会が神戸市中央区の大倉山公園に設置した慰霊碑には、1910人の犠牲者名が刻まれている。